http://www.web-nihonshi.jp
年 月 日 | で き ご と |
1827(文政10)年12月7日 | 鹿児島城下の下加治屋町に、藩士西郷吉兵衛の長男として出生 |
1839年? | 喧嘩の仲裁に入った際、右腕内側の神経を切られてしまう。以降、刀を逃げれなくなり武術を諦め学問で身を立てようと志した。? |
1841年 | 元服、吉之助隆永を名乗る。この頃郷中の二才組(にせこ)に昇進する。 |
1844年(弘化元) | 郡方書役助を務める? |
1851年? | 島津斉彬が藩主となる? |
1853年6月 | ペリー来航? |
1854年(安政元) | 斉彬の江戸参勤に際し、江戸に赴く |
1855年 | 西郷家の家督を継ぐ |
1858年(安政5)5月 | 彦根藩主、井伊直弼が大老になる。 |
1858年7月 | 安政の大獄 |
1858年7月16日 | 斉彬、急死 19日斉彬の弟で島津久光の子忠義が家督相続し、久光が後見を務めることになる |
1858年7月27日 | 京都で斉彬の訃報を聞き殉死しようとしたが、僧・月照に止められ斉彬の遺志を継ぐことを決意した。 |
1858年8月? | 水戸・尾張藩の内勅を持って江戸へ向かう? |
1858年9月? | 帰藩? |
1858年11月16日 | 花倉沖で月照とともに入水したが助けられた。月照は死亡 |
1858年12月 | 藩命にて、奄美大島に流されることになる |
1859年 | 島の娘で、龍家の一族佐栄志の娘とま(のち愛加那)と結婚した |
1859年11月 | 菊次郎が生まれる |
1861年11月21日 | 帰郷の召喚状が届く |
1862年2月12日 | 鹿児島到着 15日久光に召される |
1862年3月13日 | 久光に先発して、村田新八を伴い上京する |
1862年4月11日 | 村田とともに捕縛される? |
1862年4月23日 | 寺田屋騒動 |
1862年6月6日 | 徳之島へ遠島を命じられる |
1862年8月21日? | 生麦事件? |
1862年8月26日 | 沖永良部島への遠島を命じられる |
1863年8月15日 | 薩英戦争 |
1864年2月22日? | 召喚の藩命を受ける? |
1864年3月19日 | 軍賦役(軍司令官)に任命される |
1864年7月19日 | 禁門の変 |
1864年7月23日 | 長州藩追討の朝命(第一次長州征伐)出される |
1864年8月 | 四国連合艦隊下関砲撃事件 |
1867年2月1日 | 四侯会議の件を久光・忠義に建言する |
1867年6月22日 | 薩土盟約を結ぶ |
1867年10月14日 | 大政奉還 |
1867年12月9日 | 坂本龍馬が暗殺される |
1868年3月6日 | 江戸城総攻撃を命じる |
1868年3月14日 | 勝海舟と会い翌日の江戸城総攻撃の中止命令を出す |
1868年4月11日 | 江戸城明渡し(無血開城) |
1868年5月15日 | 上野戦争 |
1868年9月8日 | 明治に改元される |
1871年 | 新政府の参議となる |
1871年11月12日 | 岩倉使節団が欧米に渡航し、西郷らに留守政府を任される |
1873年5月 | 徴兵令が実施され、西郷が陸軍大将兼参議となる |
1873年8月17日 | 閣議で西郷の朝鮮派遣使節が決定される |
1874年2月4日 | 佐賀の乱 |
1874年6月 | 私学校本校・砲隊学校を設立する |
1876年10月28日 | 萩の乱 |
1877年2月12日 | 帰郷後はじめて陸軍大将の身分を使用して、政府に反する文章を届ける |
1877年9月24日 | 城山にて自刃する |
copyright©2011 WEB MUSEUM of Human history . all rights reserved.